天神橋三丁目商店街振興組合 理事長 築部 健二さんに
万博の思い出を聞きました
1丁目、2丁目、3丁目…と、いくつかにブロック分けされている天神橋筋商店街の中で、同商店街はもっとも長い距離があります。万博当時の同商店街は肉、魚、野菜、あるいは傘、包丁と専門店が多く店を構えていました。また、今のようなアーケードの形ではなく、通りの上部は大きな布で覆われていました。
数年前のある冬の日の朝、降り積もった大雪の重さにその覆いが耐えられず、ほとんどの場所がどさっと崩れ落ちてしまったことがあったそうです。テレビや新聞にも大きく取り上げられた自然災害でしたが、この地で育った築部理事長は「商店街全体の運の強さのようなものを感じましたね」と、当時のことを振り返ります。
万博よりさらに昔にさかのぼると、このあたりはもともとガラスの製造工場が多く建ち並ぶエリアで、製品は全国各地へと広く出荷されていました。原料の珪砂や燃料の石炭などを運搬するにあたり、水運の発達していた大阪を、多くのメーカーが製造拠点に選んだと考えられています。ガラスづくりの伝統は現在も形を変えて受け継がれており、老舗のガラス工房が生み出したオリジナルブランドの「天満切子」などは、やわらかみのある仕上がりが高い人気を集めています。
- 丸玉一土居陶器店のページはこちら