黒門市場 山本善規さんに万博の思い出を聞きました
昭和45年(1970年)の大阪万博では、会場に飲食店が出店していました。そこに漬物を納品していたのが、「つけもの処・伊勢屋商店」の相談役、山本善規さんです。山本さんは当時28歳。会場からお客さんが帰った夜遅く、三輪トラックで毎日漬物を届けました。当時の黒門市場商店街の店舗数は現在とほぼ同数の150ほど。生鮮食品店が全体の約7割を占め、特に鮮魚店が今よりも多かったそうです。
「小売りはもちろん、ミナミの飲食店への納品も多く、もともと商店街は繁盛していました。そこに万博が始まると、全国から海外から人びとが集まりました。キタやミナミに泊まる人が多かったこともあり、商店街はさらに潤いました」と山本さんは当時を振り返ります。
休みの日には、まだ幼かった息子さんを連れて何度も万博会場へと遊びに行ったそうです。月の石が展示されたアメリカ館、入場者が最多だったソ連館、額に赤い粉をつけたコンパニオンが印象的だったインド館などを訪れましたが、どれも待ち時間が長く、1つに入場するとそれだけで日が暮れてしまったと言います。
コロナ禍によって特に海外からの観光客が減少しましたが、2025年の大阪万博に向けて、黒門市場商店街では着々と準備を進めています。今後は、ホームページやSNS、チラシやラジオCMなどによりさらに積極的に情報発信を行い、国内外から、また近隣からのお客さんが楽しめる商店街づくりに力を注いでいきます。