【商店街と万博】2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)の開催が近づいてきました。1970年の大阪万博から半世紀あまり、本企画では、当時の商店街と今の商店街、その移り変わりや変わらないこと、当時の思い出など、商店街を切り口に歴史を紐解く企画です。
生野本通商店街「まるてん」店主 天野健さんに
万博の思い出を聞きました
万博当時の1970年ごろ、商店街はとてもにぎわっていました。
食堂「まるてん」店主、天野健さんは「商店街の全盛期でした」と振り返ります。食堂の創業は終戦翌年の昭和21年(1946年)、天野さんはその3代目。商店街の活気を物語る当時の様子を覚えています。
「空き店舗はなく、どこも店が詰まっていました。空いてもすぐに新しい店が入りました。今で言うシャッター街はありませんでした。朝から晩まで通りの端から端まで人通りが途切れることはありませんでした」。通りにスーパーがあった頃は、それを目当てに近隣の人が集まってきたといいます。
商店街の前には、万博の前まで市電の「源ケ橋」停留所がありました。「乗降が結構ありました」と天野さん。遠来のお客さんも利用するような商店街でした。
万博で思い出すのは、現在、一緒に店を切り盛りしているパートナーとの結婚前のデートによく利用したことです。天野さんの手元には当時のガイドブックやパンフレット、新聞などがたくさん残っています。