西郷通商店街(ララはしば) 内田徹さんに
万博の思い出を聞きました
大阪万博が開催された昭和45年(1970年)ごろ、「物があればあるだけ売れた」と西郷通商店街(ララはしば)の内田徹さんは言います。少年時代に通った量り売りの菓子店、鮮魚店、乾物店、塩昆布店など、商店街には今でいう専門店ばかりが軒を連ねていたそうです。鮮魚店に至っては、川魚だけを売る店と、海魚だけを売る店とに分かれていたとのこと。特に年末には正月用の食料品などを買い求めるお客さんでおおいににぎわい、歩けば肩がぶつかるほどだったと内田さんは振り返ります。
当時内田さんのお母さんは「きくや寝装店」(2021年閉店)を営んでいました。万博が始まり、地方から大阪を訪れた人は親戚・知人の家に泊まることが多かったようです。今よりホテルが少なく、また寝具のレンタルというものもなかったため、きくや寝装店では来客用の布団がよく売れました。まさに万博バブルです。
万博の年、内田さんは高校2年生。パビリオンにも遊びに行きましたが、大人気のアメリカ館、ソ連館は長蛇の列を見て早々に諦め、人の集中していない展示館を選んで楽しんだそうです。
2025年の万博に向けて、ララはしば商店街もさまざまなイベントを企画・開催し、商店街を、大阪を盛り上げていこうと考えています。