北助松商店街・カルチャー「助松神社」
南海本線「北助松」駅から歩いて1分のところにある助松神社は、境内を闊歩する何羽もの立派な鶏がいることで有名です。
宮司の井上邦彦さんによると、この鶏たちは先代宮司の井上さんのお父様が、35年ほど前に飼い始めたとのこと。「当時は神社を訪れる人が少なく、自宅で飼っていたチャボなどを連れて来たそうです」。
1200年前の創建とされる助松神社は、天神様である菅原道真公と、春日の四柱(よはしら)の神様をお祀りしています。資料が残っていないためにどちらの神様を先にお祀りしていたのかは不明ですが、社紋が梅のデザインのため、もともとは天神様をお祀りしていたのか、または同時にお祀りしていたのではと推察されています。確かなのは、それだけ古い歴史のある神社だということです。
助松村と呼ばれていた頃、大阪と和歌山をつなぐ紀州街道と、現在旧国道26号線と呼ばれる大きな2つの街道が交わる位置にあるこの村は、行きかう人々でにぎわいました。近隣の漁港も、しらす漁で大いに栄えていたといわれています。
そのため江戸時代には紀州徳川家が参勤交代の折に休憩する「田中本陣」が置かれ、現在も保存されています。
助松神社は、そんな村の氏神様として村人の信仰を集めました。明治時代になり、他の神社に吸収されそうになったときも、村の有力者らが資金を出し合い守ったそうです。
戦後になり、田畑が広がっていた助松神社周辺にも住宅が立ち始め、昭和30年代には神社の東側に大規模な「助松団地」が誕生。それに合わせて「北助松」駅、さらに「北助松商店街」が誕生しました。
現在境内にいる鶏は、白い羽に赤いトサカの「小国(しょうこく)」と、茶色い羽の「東天紅(とうてんこう)」の2種類。日中、自由に走り回っている鶏たちですが、境内の外へ出ることはないそうです。
「鶏を飼う家も農家も少なくなり、鶏の保全の意味も込めて飼っています。鶏を放し飼いにしている神社は珍しいと、鶏たちのおかげでお詣りくださる人も増えました。これからも地域の心のよりどころとして、人と人をつなぐ場でありたいと思います」。