新京橋商店街振興組合 理事長 岡本 享一さんに
万博の思い出を聞きました
当時、二十歳だったという理事長の岡本享一さんは、万博には興味が湧かなかったといいます。「万博への関心は関西より他の地方の方が高かったのでは」というのが岡本さんの感想です。
会場の吹田市に親戚がいた岡本さんの印象に残っているのは、会場一帯の風景が万博開催前と比べて大きく変わったことでした。「森や畑だった所がアスファルトになって、どこがどう変わったのか、もう分かりませんでした」
一方、万博のころの新京橋商店街の姿も今とはだいぶ違っていました。現在もにぎわいのある商店街ですが、当時は幅わずか5mあまりの通りを横断できないほど多くのお客さんがいたそうです。「あまりに人が多いから、地方から出てきた子が祭りか何かと思ったという話を当時、聞きました」と岡本さん。
お店の種類も多様でした。今は飲食店が多くなっていますが、当時は眼鏡店、布団店、家具店、荒物店、映画館などがありました。
喫茶店もいくつもありました。中でも、高級感を売りに関西で展開していた喫茶店の大阪第1号店がここ新京橋商店街にあったといい、そのにぎわいぶりがうかがえます。
現在のように地下鉄やバスがなく、最寄り駅はJRと京阪の二つの京橋駅のみ。駅から商店街を抜けて、その先は住宅地。買い物といえばこの商店街でした。今でもなお多くの方々に利用いただいているのは、万博以前の時代から現代まで受け継がれた「いかなる時も心のこもったサービスでお客様を迎える」という、この商店街の伝統があるからこそ。
最近では民泊の大手プラットフォームとタッグを組み、日本語・英語・中国語の3カ国語で商店街マップを作成するなど、2025年万博に向けて“伝統”を守りつつ、進化を続ける新京橋商店街です。(詳細はこちら)