心斎橋筋北商店街振興組合 代表理事 児玉 孝さんに
万博の思い出を聞きました
「昭和45年(1970年)は、私が社会人になった年です」と心斎橋筋北商店街振興組合の理事長を務める児玉孝さん。同商店街の一角にある「ワカノウラ薬局」の店主を務める前は、大学卒業と同時にまず大阪に本社がある製薬会社に入社し、すぐ愛知県へと赴任したとのことです。「私が大阪出身だと知っている愛知の同僚たちから『万博に連れて行って』と誘われ、開催期間中は何度か行きましたね」。
当時はとにかく日本中の人が大阪に集まったと児玉さんは言います。「地下鉄御堂筋線が延伸して万博会場とは1本で結ばれていたので、この商店街にも大勢の人が訪れました。あくまで個人的な感覚ですが、外国人よりも日本人のほうが多かったように思います。全国各地から来た人々がショッピングを楽しんで、商店街全体で売り上げがグーンと上がったんじゃないかな(笑)」。
令和7年(2025年)の大阪・関西万博に対しては、「よりグローバルになるだろうなと感じています。外国の方も、昭和45年(1970年)当時は無かったスマートフォンで『大阪の面白さ』を検索するでしょう。だからこそ、ネットやSNSを使った魅力発信が大事。心斎橋筋北商店街は、とても面白いよ、こんなユニークなお店もあるよと、大いにアピールしていきたい」と考えているとのこと。
締めくくりに、「今度の万博も、やはりアクセスの面で心斎橋筋は便利な場所。大阪メトロの本町駅から南北に続くアーケード内に、うちを含めて4つの商店街が続いています。そこをずっと歩きながら楽しんでほしいですね」と、万博への期待を込めて語ってくれました。