生野本通中央商店街 理事長 進藤 成一 さんに
万博の思い出を聞きました
万博へと至る高度経済成長のころ。「3分歩いたら何でもそろう商店街でした。自宅に冷蔵庫は要りませんでした」。理事長の進藤成一さんは、当時の商店街の充実ぶりをそう表現します。人と人の肩がぶつかり合うほどの人通りでした。商店街以外に買い物の場所がなかった時代です。
夜の9時、10時前に閉める店はほとんどなかったといいます。進藤さんの菓子店では午前0時まで営業することも珍しくありませんでした。当時の売り上げがその繁盛ぶりを物語ります。売り上げが繁盛ぶりを物語ります。「お菓子だけで最高で1日100万円売れたこともありました」
進藤さんは当時、まだ小学生でしたが、店の手伝いをさせられたといいます。店の2階は商品を片付けないと布団を敷けませんでした。年の暮れになると、たくさんの人通りを狙って商店街の一角に露店が出現しました。
万博当時は21歳。別の土地で事業をしていました。万博見物に行ったのは1度だけ。「並ぶ時間が長すぎて何を見たか覚えていません」
今は商店街にとって厳しい時代。「コンビニもあれば、スーパーもあります。大きなショッピングモールに行けば、1日遊んで食べて買い物をして過ごせます。車で行けるのでみんなそちらに行きます」
進藤さんは現実を認識しながらも、自店の改革に知恵を絞ります。「もともとお菓子屋でしたが、できる範囲で自分の所でおいしいものを置くようにしようと決意して、こういう形の店にしました」。現在、店内には全国の名産品が並びます。