大利商店街振興組合 理事長 清水 茂實 さんに
万博の思い出を聞きました
昭和45年(1970年)当時、商店街全体の規模・形は今と変わらないものの、牛乳販売店、旅館、おもちゃ店などがあったそうです。また、近隣を含め現在のような量販店・大型スーパーがなく、食料品や日用品、衣料品などを求めて、大利商店街には日々多くの買い物客が訪れていました。
大阪万博より前、昭和38年(1963年)ごろから住宅開発が進んでいたこともあり、寝屋川市の人口は増加。大利商店街のどのお店も、大変に繁盛していました。朝8時から夜9時まで営業するお店もあったほどです。
大利商店街振興組合の理事長、清水茂實さんは大阪万博当時25歳。大利商店街で商売を始めて5年が経ったころでした。仕事の合間を縫って、2歳になる長女をバギーに乗せアメリカ館の「月の石」を見に行き、1~2時間長い行列に並んでやっとひと目見ることができたそうです。当時の記事を見ると4時間以上待った人もいたそうなので、ラッキーなほうだったのかもしれません。開催されていた3月15日から9月13日までの約半年間、途切れることなく、おおぜいの人びとが万博に訪れていた印象があるといいます。
第二次世界大戦後、大利商店街は店舗数が10以下になった時期もあったそうです。そこから、商店街の方々の尽力や、高度経済成長や大阪万博の開催、それに伴う人口の増加や住宅開発によって、復興が遂げられたと言えるでしょう。