堺東中瓦町商店街 理事長・高岡武史さんに
万博の思い出を聞きました
昭和45年(1970年)の大阪万博当時の思い出について、堺東中瓦町商店街の理事長・高岡武史さんがお話しくださいました。万博開催の年は小学校1年生だったという高岡さん。3年生くらいまで、高岡さんの放課後の遊び場はもっぱら高島屋の屋上遊園地でした。
「小さかったので万博に連動した商店街のにぎわいについての記憶は定かではありませんが、商店街はいつも人でごった返していました。向こうの筋へ渡ろうにも人が多すぎて突っ切ることができないくらいでした」と高岡さんは往時を語ります。
「もちろん万博会場には行きましたよ。3、4回は行ったと思います。長時間並んでアメリカ館に入り、月の石を見ました。ただの石がものすごく立派な雰囲気で飾られていたのを覚えています。でも、止まらないでくださいと言われるので、前を通り過ぎただけで見たのは一瞬でしたね」。当時1年生だったことを考えると驚異の記憶力です。
「一番印象に残っているのは真っ赤な外壁のソ連館。建物がかっこよかったんです。もともと建築物を見るのが大好きで。太陽の塔も未来的な造形が好きでした」。当時の写真や、購入した絵ハガキなどの記念品も保存されているそうです。
令和7年(2025年)の大阪・関西万博に向けて、各方面で着々と準備が進められていますが、経済効果が堺にも波及し、堺のまちや商店街に往時のにぎわいが再びもたらされてほしいものです。