布施商店街連絡会 会長 加茂 守一さんに
万博の思い出を聞きました
大阪万博が開催された昭和45年(1970年)、布施商店街連絡会会長の加茂守一さんは東京の日本体育大学の2年生でした。夏休みに帰省すると、「大阪万博を見に行きたいから、泊まらせてくれ」と大学の同級生が次から次へと加茂さんの実家を訪れたそうです。そのたびに加茂さんも万博へと同行することとなり、夏休み期間中、なんと2日に1回のペースで万博へと出向くことに。
「月の石は、『4時間も5時間も並んで、結局素通りするだけ』と聞いていたので行きませんでした」と加茂さんは笑います。会場は満員電車の様相を呈していたといい、その中で特に印象に残っているのは「動く歩道」と、ショルダータイプの携帯無線電話機「ワイヤレステレホン」だそうです。
商店街の店舗は、当時と現在では全体の6割ほどが入れ替わっています。この数字だけを見るとつい寂しさを覚えてしまいますが、布施商店街には「変化を受け入れる気風」があります。令和元年(2019年)のラグビーワールドカップでは「クレアホール・ふせ」でパブリックビューイングを開催し、花園ラグビー場で試合を観戦した人たちを無料のシャトルバスで布施駅まで運び、商店街では生ビールを一杯無料で振る舞いました。結果、多くの人に布施商店街を知ってもらい、楽しんでもらうことができました。この成功体験を活かし、2025年の大阪万博でも商店街、そして地域を盛り上げていこうと、現在さまざまな取り組みを考案中です。