曽根崎お初天神通り商店街・カルチャー 「露天神社(お初天神)」
「曽根崎お初天神通り商店街」を南へ進むと、商店街の名称にもなっているお初天神があります。大阪でも有名な縁結びスポットで知られるお初天神の正式な名前は「露天神社(つゆのてんじんしゃ)」。
良縁を願ってのお参りや、ピンク色の可愛らしい絵馬に願いごとを書いて奉納するなど、国籍を問わず、女性やカップルが訪れているといいます。
「露天神社」が縁結びで知られるようになったきっかけは、神社にある天神の森で起こった堂島新地天満屋の遊女・お初と、内本町平野屋の手代・徳兵衛の心中事件でした。 この事件を題材にして近松門左衛門が書いたのが、人形浄瑠璃「曽根崎心中」です。
若い男女の悲しい恋物語は人々の涙を誘い、舞台となった「露天神社」にも大勢の男女が参拝に訪れるようになりました。
やがて悲恋の2人がご縁を結んでくれると評判が立ち、それが縁結びの神社の由来になったのです。
宮司の吉沢克規さんは「『曽根崎心中』は、『未来成仏、疑いなき恋の手本となりにけり』という言葉で結ばれています。当時の人たちは、悲しい最期を遂げた2人が成仏して、幸せになると信じていました。2人に理想の男女の姿を重ねたのでしょう」と、話してくれました。
今でこそビルに囲まれている「露天神社」ですが、創建はおよそ1300年前、まだ曽根崎が大阪湾に浮かぶ小島の一つだった頃だと伝えられています。 なお「露天神社」の名前は、菅原道真公が大宰府へ流される途中、この地域に立ち寄って詠んだ歌にちなんで名づけられたそうです。
地続きになった小島で人々は田畑を耕し、曽根崎村が生まれました。村はその後、梅田駅の開業とともに大きく発展。そんな成長を、梅田や曽根崎の総鎮守として見守り続けたのが「露天神社」なのです。
「当社の参詣道が、現在、曽根崎お初天神通り商店街と呼ばれている商店街です。今も昔も行き交う人々でにぎわうのは商店街さんがあるおかげ。これからも助け合って、ともに栄えていきたいと思っています」。