野崎参道商店街・カルチャー 「国史跡・飯盛城跡」
野崎参道商店街を抜けた先にある飯盛山には、歴史的にも大変貴重な史跡が残されています。その史跡を残したのが、戦国武将・三好長慶です。
三好長慶は、下克上の代名詞的存在で、近年では大河ドラマでも頻繁に登場する人物。その三好長慶が残したのが、飯盛城跡です。
この城跡がなぜ貴重かというと「従来の城とは違っていた」からだと、大東市観光ボランティアガイド「やまびこ」代表の高橋さんは言います。
飯盛城が築城される以前にも、山頂に城を築く武将は多かったといいます。そうした武将たちは、たいてい山の麓に生活の場となる屋敷を構え、そこで暮らすのが一般的でした。ところが三好長慶は、麓に屋敷を置かず、山頂の千畳敷と呼ばれる郭(くるわ)に御殿をたて、生活の場としていたのです。飯盛山は標高約314mと、現代建築物であるあべのハルカス(標高316m)とほぼ同じ高さ。城があった山頂からは、大阪平野から神戸市街、果ては淡路島や六甲山まで見渡せます。麓の風景は当時からすっかり変わってしまったものの、現代でもこうした景色を一望できます。
今でこそ、あちらこちらに大小さまざまなビル群が見えますが、かつての戦国の世であれば、城下で暮らす人々の営みも見えたことでしょう。
そんな飯盛城跡は、2021年に国の史跡にも指定されました。城自体は残っていませんが、飯盛城跡では各郭の周囲には多くの石垣が築かれているのが特長です。一見すれば土から石がむき出しになっているようですが、よく見ると、切り出された石が絶妙なバランスで積み重ねられていることがわかります。
飯盛城には尾根筋を削ったり盛土した平らな郭が連なっています。それらの間に人工的に作った堀切、切岸土塁等が守りをかためています。飯盛城跡を巡ることでそれらが間近に見ることができます。長慶も歩いた道を皆さんも歩いてみてください。歴史の楽しさが味わえます。そんな楽しさをもっと味わい深いものにしてくれるのが、大東市観光ボランティアガイド「やまびこ」。山頂までのルートも、ハイキングや登山経験など参加者の経験に合わせて設定してもらえるので、ハイキングに興味を持たれた方はぜひ問い合わせてみてください。