南地中筋商店街振興組合・カルチャー「法善寺」
南地中筋商店街を東に向かうと、神聖な空気が漂うお寺の境内に着きます。ここは法善寺。大阪ミナミの地をずっと守ってきたお寺です。
江戸時代、京都・宇治から移転してきた法善寺。当時は正門があり、その奥に本堂が置かれた一般的な形のお寺でしたが、1945年の大阪大空襲で水掛不動尊を残して焼失。現在では、南地中筋商店街からでも千日前商店街からでも、水掛不動尊のもとへ行けるようになっています。
焼け残った水掛不動尊の名前は、願掛けに訪れた女性が水を掛けて拝んだことに由来すると伝えられています。病気平癒、商売繁盛、縁結び、どんな願いも叶えてくれる不動尊は、その表情が見えないほど苔むしています。法善寺の神田眞英副住職は、「もともと角ばった石なので苔が生えやすいうえに、皆さんにかけていただいている水も清らかな井戸水なので、この青々とした状態が保たれているようです」と微笑みます。
戦火をくぐり抜けた井戸の水で手を清め、まっすぐに水掛不動尊と向き合うと、なぜか心が落ち着きます。海外からの観光客や若い日本人カップルも、線香とろうそくを捧げ、手を合わせていました。
「昔から、この界隈の商売人や松竹座などに出演する俳優さんがよくいらっしゃいます。かの藤山寛美さんも公演前に必ず手を合わせに来られました」。
水掛不動尊の隣には金毘羅堂があり、かつて難波が港町だった名残で海上交通の守神・金毘羅天王が祀られています。江戸時代には、道頓堀川の船運で野菜や魚などが運ばれたこともあり、金毘羅天王は商売繁盛の神様としても知られます。
このほか境内には、商売繁盛・五穀豊穣の神様を祀る「お初大神」という稲荷神社も。
法善寺の夜は、提灯の明かりでなんとも言えない風情を醸しだします。その光に導かれ、ふらりと訪れる人も多いのだとか。
毎月28日に行われる「水掛不動明王護摩法要」も夜の行事。護摩木の焚き上げと読経が行われ、自然と人が集まってきます。空襲で焼けた法善寺界隈を盛り上げるために、戦後すぐに始まり、以来ずっと続いているそうです。
「法善寺は24時間開いていて、いつでもお参りいただけます。人間はどんな時も常に不安を抱えています。心を安らげるためにもぜひお越しください。仏様の合掌は慈悲を表しています。その姿と同じように手を合わせれば、仏様の優しい心もお持ち帰りいただけるはず」と副住職。
道頓堀や心斎橋観光の後は、都会の喧騒から離れて法善寺へ。仏様を敬い、みんなで手を合わせれば、きっと平和の世につながるはず……と、副住職は優しく微笑んでくださいました。